『東京の「地霊」』と鎌倉園

 一般的に鎌倉園についての記述がある本自体少ないらしいのだが、この本にそれが載っていると聞き、Amazonマーケットプレイスで購入。タイトルにいう<地霊(ゲニウス・ロキ)>とは別に幽霊のことではなくて、「土地に結びついた連想性、あるいは土地が持つ可能性といった概念」で、ある土地の歴史を物理的な形状だけでなく文化的・歴史的・社旗的な背景と性格をも踏まえて解き明かす方法論。本書が書かれた1980年代終盤、中曽根政権下で国鉄民営化や民間活力導入により東京が変貌していた。そんな中、歴史の残滓を掬い取り、<地霊>という手法で東京の近代を読み解くというのが狙い。皇族の邸宅、大久保利通の暗殺場所、新宿御苑、椿山荘などなど東京の様々な土地についての歴史がユニークな視点から語られており、歴史に疎い当ブログにもなかなか興味深い内容であった。
 さて本書の第12章が鎌倉園をつくった「わかもと」の長尾欽弥の話である。庭園づくりというのはエラく金のかかる趣味らしいのだが、昭和6〜9年という短い期間に三つも大庭園をつくらせたという(どうやら「わかもと」が売れ始めて何年もしない時期らしい。なかなかバブルっぽさの漂う話である)。その一つが別邸である鎌倉園。その他は東京の本邸と近江のもう一つの別邸ということらしい。
 この本でも鎌倉園についての記載は多くはない。まずその三つの大庭園をつくったのは小川治兵衛。植木屋の治兵衛ということで屋号は「植治」。池水の庭園を得意とし富豪の邸宅などを中心に明治・大正・昭和と大規模な庭園をつくりつづけた人物らしい。この人、正確には「第7代の小川治兵衛」であり、現在は11代ということらしくホームページもある。庭園については、東大の先生である著者が学生にレポートを出させた時の話がちょっとおかしい。課題として「最近の和風の邸宅」についてのレポートを提出させてところ、学生のは「せいぜい錦鯉が泳ぐ池がある程度の、つまりは庭の大きさ一望できてしまう位」のもので、著者いわく「本当の庭というのは、境界がどこにあるか解からないようなものをいうのだ」。確かに鎌倉園もかなり大きそうである。東京にもこの植治の庭園があるらしく、一度見なくてはね。
 で、実はこの章の話の主役は東京桜新町の本邸。その地に住んだ財界人や富豪の邸宅の中でも群を抜いた規模であったという長尾邸には戦前多くの大物政界人・軍人が訪れていた。なかでも懇意であった近衛文麿は第二次大戦後に自宅で服薬自殺するのだが、そのわずか二日前にこの長尾邸に宿泊していた。どうやら薬物は長尾夫妻からもらったらしい。その本邸はほとんど消失してしまったらしい。いやあ儚い。
 ちなみに鎌倉園は「扇湖山荘」と呼ばれていて、「鎌倉の山あいから、湘南の海が扇形に湖のように望まれる」ということからきてるらしい。確かに眺めが良いんだろうなあ。といったわけで、鎌倉園をめぐる話はいろいろと面白い。
 最初に書いたようにそれ以外の部分も大変楽しめる本で、現在の東京についての著者の感想を読みたい気がする。

2009年2月25日追記  本屋で復刊されているの発見。入手されやすくなったので興味を持った方は是非。