SFセミナー2008

 今年もSFセミナー(5月3日)に参加。昼のみ参加のSFセミナー個人的不完全メモを備忘録的に参ります(と、いうことで不正確な点にはご容赦を。以下敬称略)。

1.Speculative Japan始動
 ワールドコンニューウェーヴSF企画からサイトのオープンに至ったSpeculative Japan。今後の展開やいかに!?ということでもちろん今回のお目当て企画。司会:増田まもる 出演:荒巻義雄川又千秋巽孝之山野浩一 各出演者の印象に残った発言を羅列、※はさあのうずによる補足

増田 Speculative Japanのサイトには10代、20代の若い世代からも反響がある。テクノロジーの進歩と共にニューウェーヴSFがより身近に感じられるようになったのではないか。日本文学によspecukativeな要素を加えるべく手をゆるめずにやっていきたい。実践として若い世代に是非頑張って欲しい。

荒巻 古典SFも現在はニューウェーヴ的な視点で読み直すことが出来る。SFにおける比喩表現は重要かつ難しい問題(※実例を挙げて解説してくださった)。筒井康隆における比喩表現というテーマで是非若い人に評論を書いて欲しい。バラードはガストン・バシュラール的な世界を元素的に還元するような方法論を取っている。創作において理論構築は重要だ。

川又 歴史的には無自覚だったSFを新たに位置づけようとしたのがバラード。図式としては10年おきに過去の世代の作品を若い世代が批判するという(ヴォートによる?10年周期説)ものかもしれない。昔のSFが内宇宙・外宇宙の意識なく創作していたものを、バラードが整理をしようとしたため生まれた問題というのもないわけではない(※原初的なパワーが失われる、といった感じでしょうか?)。もちろん意識的に創作するのとそうではないことには大きな違いがあるため、理論的に整理をしようとするのは重要なことである。自作の『ラバウル烈風空戦録』にも言葉の意味を解体するような実験的な試みを盛り込んでいる。

山野 サルトルハイデガーなどの著作が読まれない時代になり自分のやることがなくなったと思い、厳密な意味ではないものの引退を考えていたが、少し意識が変わってきた。筒井康隆にSpeculative Japanへの参加をすすめてきた。最初は「今更ニューウェーヴか・・・」と言っていたが、「今こそニューウェーヴなんだ!」と強くすすめると「そうか。オールドウェーヴは去っていったが、いつでも新しく来るものがニューウェーヴなんだからなあ。」ということで参加することになった。自宅に若い頃の高橋源一郎が来たとき、サンリオSF文庫の本棚の前に何時間も座っていた。

巽 ワールドコンニューウェーヴSF企画を組む段階で出演者のリストをみた若い担当者が「ニューウェーヴSFって架空戦記のことなんですか?」といっていた。山野浩一の下から川上弘美があらわれ、笙野頼子荒巻義雄のファンであることなどニューウェーヴSFが文学畑に与える影響は大きい。

SFというものを理論的にとらえることは、次のステップに移ったりジャンルのレベルを上げるために重要である。一方で、どうしてもいったん敷居が高くなってしまったり原初的なパワーが失われてしまったりするのだが、流れとしてはやむを得ない。さらにある世代はどうしても前の世代を踏まえて(主に批判的に)進まなくてはいけないところがある、といった点が一番興味深く思えた。(実は磯光雄さんもインタビューで重なることをおっしゃっていたように感じられたのだがどうでしょうか)
全体としてちょっと短くて食い足りない感もあった。ガストン・バシュラールのことは知らなかった。

とにかく山野浩一の旧作やニューウェーヴSFが復刊されたらみんなで買いましょう。

2.ごめんなさい聞いておりません

3.ショートショートの現在
司会:牧真司 出演:井上雅彦江坂遊高井信眉村卓
 「星新一のただ一人の弟子」として知られる江坂遊がラジオ番組に投稿していて眉村卓とは長年のつながりがある、という話が面白い。またアイディアについて「いわゆる啓示が大事。いわば形而下から形而上にぬけるスパークのようなもの」(眉村)、しびれますねえ。あと好きなショートショート集について「アンソロジーとして、音楽だがビートルズの‘Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band'」(井上) 、この手のセンスは大好物。

4.磯光雄インタビュー 電脳コイルの世界
聞き手:向井淳 出演:磯光雄
磯監督はどうやら同世代(同学年かもしれない)。発言にいちいち共感を覚える。印象的な話を羅列。
?子供の頃ガンダムがSFかどうかが論争になっていた。‘電脳コイル’がSFかどうかは論点にしない方向で是非ともお願いしたい。
?ジャンルを権威づけした結果、SFの敷居が高くなった。それ自体やむを得ないが、自分としてはジャンルを意識させない、敷居を低くしたいと思っている。
?それほどSF作品を読んでいないが、自分の作品がSFに近いとするならカレル・チャペックだとか真の黎明期であるような時代のものではないかと思っている。
?表には見えないような設定を詳細に考えるのは大好き。設定を考えるとき、実現不可能となった技術や失敗した技術を使うのがやりやすい。実際には終わってるから好きなようにいじれる。だから雑誌で実現可能な未来予測をしてくれという企画は本当に困る。
?SFは<サイエンス・フェチ>である。フィクションなのだから<科学っぽい>というあたりが本質なのではないか。
?1996年に火星の隕石に生命がいる証拠がみつかった、という大ニュースが報道された。しかしトップニュースどころかかなり低い扱いだった。トップで報道されるに違いないと思った自分は、子供の頃科学が話題の中心にあった特殊な時代に成長したことに気づいた。

??あたりがツボですね。以前取り組んだ作品でSFとは何か相当考えたことがあるそうだ。そのためもあるのかジャンルに対する認識は実に的を得ていると思う。


さらに今回は、Flying  to Wake IslandのThornさんのお導きで、若いSFファンの輪の中にちょっとだけ加えていただきました(笑)。短い時間でしたが、ニューウェーヴSFなどに対して共通する感覚もあることに驚かされたり嬉しかったり貴重な経験となりました。本当にありがとうございました。