ディッシュ

 トマス・M・ディッシュ亡くなった
 単なる気まぐれな熱心ともいえない読者の一人である自分にとっては、その心境などはかることもできない。ただ、最近『アジアの岸辺』の出版などで、難解とされてきた彼の作品にようやく理解できる手がかりが得られそうな気がしていただけに、ひどく残念な気がしてならない。
 自分がSFを読み始めた頃に、LDG論争というものがあり、当時のジョージ・R・R・マーティンら新世代作家に対して、立場の悪さ(下の世代に苦言を呈する名のあるベテラン、なんていうポジションはカッコ悪いものだ)もあえて承知の上で、一人問題提起を続けていた真摯な姿が強く心に残っている。結局、論争自体の噛み合いは不十分だったが、ディッシュ個人の資質といったものを感じられた出来事だった。
 近年の紹介のおかげで、その背景にある様々なジャンルの文学作品に興味を持つことが出来るようになった恩人でもある。今回のことはショックだが、また彼やその関連の作品を読んで、思いをめぐらさていきたい。

 追記:まだショックがおさまらないので、自分のつけていた読書メモなどを参照して、だらだらと回想。さあのうずがSFを読み始めた中学生くらいの頃から、SFマガジン上などでディッシュは一目置かれる存在であった。なにがどう凄いのかはよく分からなかったのだが、人類全体を冷徹に見据える『人類皆殺し』が高い評価を受けていて、クールな視点を持っているニューウェーヴの旗手という革新的なイメージがあった。ただ『人類皆殺し』については読んだものの実は、思ったより普通だな、といった程度の印象だった。その後読んだ「リスの檻」はよく分からなかった(吾妻ひでおのパロディは面白かったし、そりゃあ『いさましいちびのトースター』は楽しんだけど)。上記のようにむしろ印象に残ったのはLDG論争での硬派ぶり。正直マーティンらがとまどっているという微妙な感じの論争だったが、個人的にはサイバーパンクの時期にSFを離れていたので、海外SFでの論争とかそういう批評的動きで記憶に残っているのはLDG論争だったりする(多分に個人的な理由)。
 その後随分時間が経ってしまうのだが、21世紀になり殊能将之HP a day in the life of mercy snowでディッシュが技巧派と呼ばれるゆえんを教えてもらう(かのHPには教えてもらうことばかりである)。その頃出た河出文庫の20世紀SF3巻(1960年代)で「リスの檻」に再挑戦したがやっぱりよく分からなかった。それでも、雑誌やネットでディッシュへの言及がちらっと登場するようになって、「リスの檻」が作家や書くことについての小説だと知る。なるほど自分が読んできたSFにも全く知らない面があるのだな、と遅まきながら知る。それで『キャンプコンセントレーション』『334』と挑戦するがやはり難しい。ところが2004年に『歌の翼に』を読んで印象が変わる。すいすい読める。そしてディッシュらしからぬ感動の物語。そこにいたってようやく(あまりにもようやくだ!)ディッシュの力を知る。そして『アジアの岸辺』。本当に傑作ぞろいで、なるほどディッシュは巧くて面白い作家なのだと分かった。その後読んだ『M・D』ではモダンホラーへの接近が見事だった。こうしてみると随分時間がかかってその姿を捉え始めたのだと我ながら思う。それだけに寂しい気がする。せめて京都で買った‘The dreams our stuff is made of’を少しずつ読もう。あと『キャンプコンセントレーション』『334』の再読も。