『ハイネックの女』 小松左京

 海野十三を読んで、その後の日本SFとの違いをちょっと比べたくなって、たまたま通りがかった古本市で見かけた小松左京の<女>シリーズの一冊を購入。<女>というタイトルがついているだけが共通の、話それぞれは関連のない一話完結のホラーっぽいシリーズ。おおむねそれは知っていたが、結構日本趣味の強い渋い話も目立つのは意外だった。特に土地の歴史をふまえ、伝統的な日本の風景を描いた文章がシンプルでありながら美しい。
「無口な女」 永年の結婚生活で会話をしなくとも心が通じ合っている夫婦。妻が口数が少ないのは元々のことだと夫は思っていたが・・・。技巧的な結末の処理が印象的。この話では、中年になった主人公が海について「子供の頃海水浴は楽しかったが、中学からは遠泳を強要される鍛錬の場になり、戦後十代後半からはアルバイトの職場になってしまった」と述懐し、ヨットやビキニの娘で様変わりした海の様子を感慨深く眺めるシーンがある。このような戦争によって青春期の楽しみを奪われてしまった世代(いわゆるSF第一世代)には、日本軍に帯同したらしい海野が描いた、ともすれば享楽的ともとれる、作品世界には受け入れ難い部分があったのかもしれない。
「流れる女」 夜遊びの経験などあまりない、妻を亡くした初老の真面目な男。ひょんなことから、芸者上がりらしい小粋な女と知り合う。これはホラーというより怪談といった方がしっくりくる。小道具や書の話など細部まで日本趣味が徹底していて、話自体は面白いが、無粋なこちらには分からない用語が山ほど出てくる(こんなの我々の世代になると書ける人はいないんじゃないか思ってしまった)。またそこに初老の男の諦念のような独白がからんできて、実にしんみりした雰囲気の作品になっている。小松左京はそれなりにいろいろ読んできて、実に多様な作品があるのは知っているつもりだったが、こんなタイプのしっとりした日本小説らしいものもあるのだとは知らなかった。
「秋の女」 所用のついでにふと子供の頃世話になった女中を訪ねようと思い下関へ向かうことにした男。たまたま旧知のシスターに会い、彼女の友人という中年女性の付き添いをお願いされる。下関という舞台ならではの作品で、これまた日本情緒あふれるもの。
「昔の女」 こちらの舞台は京都。またまた和風な作品だが、後半の処理はやや軽め。
「ハイネックの女」 二回目の離婚をしたばかりの四十男。マンションの隣室には会社の後輩である冴えない男が美しい女と同棲をはじめたが・・・。これは従来のイメージに近い<らしい>作品。ただラストは多少しんみり。これなんかやっぱり海野作品と比べると圧倒的に話の運びが巧い。全体として超日常的仕掛けとしては今の小説ではそれほど珍しくないようなものも多い。作品の質は高く風景描写など見事だから、現在だったら普通小説に近くしんみりとした味のある前半の三作を中心に、完全な普通小説とかを混ぜた短編集にすれば、一般文学賞でもふさわしいようなものとなる気がした。