SFセミナー2009に参加

 今年もSFセミナーに参加した。今回はバラード追悼企画があったので、合宿にも参加。合宿まで参加したのは20年ぶりくらいでしょうか。主にみた企画について、あくまで断片的な私的まとめを。

円城塔企画 図(や模型)をつくって横に置いて作品を書くという創作方法に驚かされる。まあ作家の生活をみたことがあるわけではないし、いろいろな創作方法があって他にもそんな人がいるかもしれない(いない?)。こちらは平凡な読者なので物語として理解可能か不可能か判断してしまうのだが、小説の構造自体をみるという読書方法だと理解できるのかな。話題の無料ネット配信ライトノベル『ホワイト・スペース』のことも再三出てきた。ひょんなことから企画が持ち上がった様子でなかなか興味深い。会話を書くキツさ(年齢的に)の話も出ていた。これも含め未読を読まないとなあ。昼夜どちらの部でも、ご家族の話題が繰り返され爆笑となっていた。円城塔流の家族小説は実現すればぜひ読みたい。興味深かった発言を羅列。
・ウリポはよくわからない
・(普通の小説は横や縦にしか進まないが)垂直方向に飛び出す話を書きたかった←「パリンプセスト」の■はそれに近い気がした
・物理論文でも大ボラを吹こうとしていた(それでいいの!?)

○若手SF評論家企画 日本SF評論賞を契機に新しいSF評論家が出てきたということでの企画。昼の部ではそれぞれの評論に向かう姿勢などプロフィール紹介的な話題が中心だったが、夜の部では、読者の指向性が細分化され、さらに実社会への利益還元も評論に要求されるような時代背景において評論家が何をしたらよいのか、という問題について熱い議論がなされた。そこには1962年生まれの二人(石和義之さん、礒部剛喜さん)と他の若い四人(海老原豊さん、岡和田晃さん、藤田直哉さん、横道仁志さん)の世代間の差、といったものも多少うかがえたが、それにも増してそれぞれの方が大変個性的で面白かった。皆さんの今後、期待させるなあ。個人的には礒部さんが「これまでSF界が排除してきたUFO現象などを含めるなどSFの再定義が必要」といった問題提起に共感した(いかがわしい物を含んでのSF史は必要だろう)。また、横道さんの「評論家は透明であるのが理想で作品そのものを読ませるということこそが役割」という立場の純粋性を重んじる姿勢が特に印象的で存在感があった。評論は原作がなくても成り立つかという問題も永遠のテーマだなあ。ボルヘスやレムの架空批評はいちおう「作品であって評論ではない」というあたりに落ち着いたけど、はたしてそう言い切れるのか。いずれにしても「鳥姫伝」読まなきゃ(ごめんなさい、まだ読んでません)。全員のプロフィールはこちら。あと柳下毅一郎さんが指摘したように若島正評論のような逐語的な探索から作品を解き明かすようなものは確かにもっと読んでみたいし、そういう方向性を日本SF評論賞の方でも積極的に評価してほしいものだ。

○バラード追悼企画 バラードの『楽園への疾走』を中心に追悼企画。いやあ初参加から20ン年目にして、はじめて発言してみましたよ。まあそれはともかく追悼として全体について話し合う時間はさすがになく、『楽園への疾走』の社会学的心理学的な側面やバラード作品内の位置づけといったあたりが話題となった。短編好きとしては初期の異色作家風の変な短編の話もしたかったんだけど。発言したことの繰り返しになってしまうのだが、増田まもるさんや永田弘太郎さんも言っていたようにバラードの作品のテーマは一貫していていつも同じことが書かれているといっていいと思う。終りがけに、バラードは医学用語を多用する印象があったので調子に乗ってそのことを言ってみたんだが、柳下毅一郎さんが「(そうした用語が使われるのは)科学ジャーナリズムに関わった経験からで、きちんと医学を勉強していたかどうかはっきりしない。全体としてバラードのキャリアはころころ変わってミーハーっぽい。」という指摘を受けた。なるほど。たしかにバラードのは医学志向ではなく医学(医療)フェチ(サイエンス・フェチ話を流用)。作家になったのは大正解だろう(そんな人がお医者さんになるのはアブナいです)。

今年も楽しみました。ご出演の方々、スタッフの皆様本当にありがとうございました。