『杜松の時』 ケイト・ウィルヘルム

 かの殊能将之の『樒/榁』でも引用された作品(という紹介はどうかしらん)。

 旱魃による食糧危機が迫る終末的な世界の中で、宇宙飛行士ダニエル・ブライトンとクルーニー大佐は宇宙事業における盟友であったが、宇宙ステーションの事故でダニエルは死亡してしまう。時は流れダニエルの娘ジーンは大学で言語学研究の助手となり、重要な役割を担うようになる。一方クルーニーの息子アーサーは物理学者となり、父親の果たせなかった宇宙への夢を実現する野心を抱きはじめる。やがて二人の運命は、宇宙からのものかもしれない謎のメッセージの解読をめぐって複雑に絡み合う。

 聞きしに勝る重苦しい作品である。傲慢な周囲に翻弄されるジーンを待ち受ける過酷な運命、宇宙事業再開をもくろむアーサーらの自己中心的な態度など、男性原理の欺瞞が手厳しく糾弾される。しかし筆致はあくまでも抑制が利いていて、さまざまな人間模様のなかで描かれているので厚みがあり読み応え十分。序盤からネイティブ・アメリカンが登場して、その思想が作品全体のテーマと連動していくのだが、そのニューエージっぽさが中盤ちょっと気になった(書かれた時代のせいだろうか)。ただその辺はさすがウィルヘルムで、ストーリーはしっかり展開しジーンの人間ドラマを中心に引っ張っていく。ラストの展開なんかちょっとショッキングですらあった。アンチ外宇宙的というような面もある作品だが、常識を覆すのがSFの特性ならば、宇宙進出など開発指向を持ちやすいSFの<常識>を覆すというのもこれまたSFらしさということもできる。なにはともあれやはりウィルヘルムの技量は特筆ものである。