SFセミナー2010

 5/1にSFセミナー例年通り昼の部のみ参加。私的レポートを。

1.小川一水インタビュー
 まだ一冊しか読んでいないので雑感程度で失礼。自分の著作の分類や特徴を整理して語る姿に、かなり理知的に作品を構築していく方である印象を受けた(官僚のようなタイプの専門職を主人公としたもの、それとは反対に被権力側の人間が抑圧を覆そうとするもの、心地よい世界を創造していくもの、などに自作をはっきりと分類しておられた)。また創作意欲の旺盛さと実際精力的な創作活動は素晴らしいなあ。当初専門職を中心とした作品を書いていたのが次第に人間を描く方向になってきたとのこと。取材をしているときに器具や周囲のことばかり聞いていて肝心の本人のことを聞いていないことに気づいたのがきっかけという。「SFは人間を書かないでいい、とよくいわれるがそれではカヴァーしきれない部分が出てきた」という発言が興味深い。メニー・メニー・シープは長いシリーズだけに様々な要素が盛り込まれるようで面白そうなのだが長い物は覚悟が必要だなあ・・・。

2.柴野拓美:日本SFの転換点
 先頃亡くなられた柴野拓美先生。柴野先生との面識はない当ブログ主。出演の長山靖生さんの「日本SF精神史」も読んでおらず(読んでから聞けばよかった)、書きとめるのにも不安があるしこんなことばかり書いているがまあやるんだ(笑)。
 一貫してファンの立場からSFを支え続けてきたその偉大な存在を戦前の科学小説と戦後始まった日本SFをつなぐ存在として読み解く、といった内容。面白かった。まず牧真司さんから、戦前の科学小説の歴史と星・小松・筒井といったいわゆる第一世代から始まった輸入文学であるところの日本SFは断絶している、ということを確認しておいた方がいいというような内容がまずは印象に残った(これは旧来の科学小説からの脱皮を意識していた福島正実の認識ということだが、今からでも著作を読まなきゃなあ>自分)。柴野先生自身理科系であったにしても基本的には科学小説の作家たちの薫陶を受けたとは言えず、やはり戦前とは断絶した存在であるということらしい。ただその認識の上で、例えば初期のSF作家たちがアメリカではアシモフたちが徹底排除をしていた空飛ぶ円盤の話を<空飛ぶ円盤研究会>に参加していて受容をして自由な発言の交換を楽しんでいたり単純に割り切れない要素も持っているというらしく、その辺は今後面白い分析が出てきそう。戦後文学運動や自己表現や仕事としてSFを選んだ作家たちの中で、SF自体を目的そして楽しみとしていた柴野先生のユニークさが際立つという話も出た。またそうした戦前と戦後をつなぐ存在として海野十三が高く評価していた手塚治虫を忘れてはならないという話もなるほど(大き過ぎてともすると見えなくなる存在だとか)。何はともあれ、現代日本SFの歴史を作り上げてきた最初の世代について客観的に語られる時代が来たのだなあというのが、長年のSFファンとしてのまずシンプルな感想。
 文学を指向する者同士の激しいやり取りが日常的だった旧来の同人誌とカラーの違うものを「宇宙塵」で作り上げたセンス(ちなみにそれぞれの作家によるそうした旧来の同人誌的な世界に対しての立場の違いも面白い)、他の第一世代の作家のような屈折とはまた違った軍人の息子としての戦後文学への複雑な思い、といったあたりの話も興味深かった。あと牧さんの言っていた「物理や数学は勉強しなくても出来るから、戦中から英語を勉強していた。戦争に勝っても負けても英語は必要になるし」という柴野先生の発言には圧倒される(勉強しなくても、勝っても負けても、とう二つのフレーズの凄さにクラクラしてしまいますな)

3.日本SF翻訳の楽しみ
 これまた日本SFが積極的に海外翻訳される時代が来たんだなあ、と長年のSFファンとして・・・<またそれか(笑)
 印税もないというアメリカの翻訳家状況の中、訳語の発見などの楽しみを持って日本小説翻訳をされているアリグザンダー(アレックス)・O・スミスさん。一部で話題のSF叢書Haikasoru桜坂洋スラムオンライン」などを訳されている。御自分の会社を設立し、日本のゲーム、TVドラマ、小説などなどを英訳されているそうだ。貴重な人材なのは間違いない。自ら編集者を雇うなどのご苦労が語られていた。
 Haikasoruを出しているのはVIZ Mediaという漫画を出版している会社。そこそこ話題になっているらしく、あらたな刊行予定もあるようだ。単純にいわゆるアメリカのSFファンがどう思うか感想を聞きたいが、それ以外でも編集や創作の手法や出版での位置づけなど日米の違いがいろいろあるはずで、そうした文化面の違いにも興味がある。Gene WolfeのThe Book of the Long Sunがお気に入りというアレックスさん。今後も機会があれば色々な話を聞いてみたい。

4.東浩紀インタビュー
 まだ評論も小説も読んでおらず・・・。取りあえず印象に残った話を断片的に。
・コミュニケーションというのは基本的に不可能なもので、twitterでお互いが勝手に自分が言いたいことを言っているもので、そこで相手の発言の一部に反応して自分の思考が新たに展開していくようなもの。(こうした内容については小松左京の「神への長い道」に既に書かれている、ということで壇上で読み上げられていたが、いやー小松左京恐るべし)
・社会思想からGoogleの問題を語ることは基本的に難しい問題で、例えば自由意思や意思決定とは何かといった根本的なレヴェルからの再考が必要かもしれない。(意思決定というのが選択の形式によって左右されやすい、ということから近年アメリカでは質問の形式を作成する専門家がいるらしい。保険会社等でそれが重要ということだ)