もう一度『ファン・ホーム』について

 先日、『ファン・ホーム』について書いたけど、あらためて考えてもすごい作品だと思うのでちょっと補足。(多少のネタばらしになってしまうので、興味のある方は是非作品の方を読んで下さい)


 この作品の特徴は文学作品からの引用が目立つこと。ともするとその文学趣味が嫌われる、あるいは少なくとも敬遠される要素になる可能性はある。しかし、ひけらかしたような印象は特にない。閉塞感を感じ文学に没頭するアリソン、自らをギャツビーになぞらえ自分の構築した世界に周囲を巻き込もうとする父、そうした束縛感を嫌ってか演劇に没頭する母、とそれぞれがある種の<生き辛さ>を抱えるがゆえにフィクションの世界に逃避している人たちだ。つまりフィクションがないと辛くて現実に適応できないのである(ああシンパシー!)。またそれがいい距離感で客観視されているので高踏趣味的な嫌らしさを感じない。そうした点は自分のようなそれほど文学造詣が深くない人間でも楽しむことが出来るのだと思う(さすがに登場する作家の名を一人も聞いたことがない人にはきついかもしれないけど)。
 もう一点、実はこの作品では1970年代アメリカでエネルギー危機と公害問題の深刻化した状況も描かれる。もちろん全くの偶然だが、日本の現況とシンクロしていてさらに内容が身近に感じられるのだ。

※追記 そしてtwitter方面では訳者のツイートをまとめたものも→こちら
文学者の方からも高評価のようだ。