『334』 トマス・M・ディッシュ

 再読。8年前に読んだ時はさっぱり分からなかったが、今回は凄い作品だとようやく気づいた。ひと言で言えば「大人のSF」。閉塞された未来社会において日常の小さい悩みや怒りや寂しさに耐えながらわびしく生きる人間の切ない姿が、周到な構成と豊富で斬新なアイディアで容赦なく描かれる。凡百のSFにありがちな子どもっぽい全能感は皆無で、人間が生きる上での切実な諸問題が苦いユーモアを持って問いかけられている。(以下内容にも触れてます)

 入手困難な作品なので、ちょっと作品背景。1972年に発表された作品で人口過密状態の暗い未来社会が舞台。「334」とはニューヨークにある巨大複合建築物で人口増加対策のモディカム計画によってこういった建物が沢山ある。しかし飲料水には不妊剤が混ぜられ、一定の知能指数に達しないと子どもはつくれない。一方で性の自由化は進み、同性同士の結婚は可能で医療技術により男が赤ん坊に授乳するようなこともある。一番長い「334」を中心とし、持ち味の異なる短篇群からそういった悪夢の未来社会が浮かび上がってくる著者得意の連作長篇である。

ソクラテスの死」 上記のように知能指数で厳しく選択肢が制限される社会なので知能テストの結果が大きく運命を左右し、そのテストでわずかに点が足りない若者の青春小説。ラストの彼の選択が重い。
「死体」 病院の死体処理業者の話。コメディとはいえないかもしれないが、中盤死体をめぐるドタバタコメディのような展開は抱腹絶倒。
「後期ローマ帝国の日々」 読んでいる途中なかなか理解できなかったのだが、(ネタバレしてしまうと)一種のドラッグSF。ドラッグによって好きな時代に頭だけタイムスリップして(この小説内での)現代と二重生活を送る話。単にローマ時代と小説内の未来社会を行ったり来たりするありがちなパターンじゃなくて細部まで書き込んで二つの世界が重なり合っているところがすごい。二重生活をしているからカウンセリングをする医師までいるところには笑った。いやーこんなのディッシュにしか書けないのでは。
「解放」 文字通り倦怠期を迎えた夫婦が子どもを持つことにより危機を乗り越える話。ジェンダーテーマで男女が入れ替わる話でもあり、意外にもストレートな感動のある内容はディッシュ自身の切実な思いがこめられているのかもしれない。主人公の一人ミリーは教員でその日常が描かれることから、追悼特集SFマガジン2009年5月号の「ナーダ」もそうだが教育というのもディッシュには重要なテーマだったのではないかという気がする。
アングレーム」 裕福な少年が退屈な日常の中で自尊心を満足させるために殺人を企てる中2病小説。見事にイタい話に仕上がっている。ホント各種取り揃えてある連作集だ。
「334」 立体図が冒頭に書いてあるので構えてしまう向きもあるかと思うが(ちなみに図で2025年とあるのは2026年の間違いだと思う)、凝った構成の裏にあるのは家族小説。母親のどうでもいい話を聞き流す自分のことしか考えていない息子とか、「解放」もそうだけど会話のすれ違いみたいなものを書かせると天下一品。これを書いたのはまだ30前半なのに老成したユーモア感覚だなあ。他の短篇に登場する人物たちのエピソードが伏線として隙なくつながっていくところにはいかにディッシュの技量が巧みなのか思い知らされる。さすがだ。
 
 一般にディッシュは「冷たい」と表現され、本作でもぬるい優しさはおくびにも出さないが、ちっぽけな人間の姿を蔑むことなく真摯に見つめ問題提起をしている。たしかに優しくはないが、誠実な作家なのだと思う。

 蛇足だが個人的には「解放」に父親が留学していたマウント・シナイ(サイナイ)病院が出てきてちょっと驚いた(人工子宮を予約する重要な場)。全体にニューヨークが舞台で結局長く住んだニューヨークは特別な場所だったのだろう(住む家にも困って自殺したのもそのニューヨークなのだが)。子どもだったのであまり記憶はないが、一緒に行ったその時期は1973〜74年で本作が書かれた頃でもありそういった意味でも印象深い。

※追記(3/9) 「死体」ではSLE(全身性エリテマトーデス)が猛威をふるう難病として描かれているが、さすがに(40年前の作品なのでやむを得ないが)これは現実とのずれが大きい。依然難病ではあるが、病因の研究は進歩し薬物療法が治療成績を向上させている。(厚生労働省のHP)