映画“ディスコ・レボリューション”

 

 映画“ディスコ・レボリューション”を観てきた。
 能天気、売れ線狙い、時代の徒花としてまともに顧られることの少ないディスコ音楽の歴史を当時の貴重な映像と関係者の証言でその意義を主にゲイや黒人や女性などマイノリティの解放という面から再評価しようとした映画。
 元々パーティー音楽であるディスコの作り手にシリアスな意図はないはずで、案の定その意義をことさら持ち上げようとする評論家(だっけか)の発言と対照的に「ディスコの政治的意義なんて聞いたこともねーなー」と口を揃えるミュージシャンたち。マイノリティとか政治的意義に関する質問にうんざりしたヴィレッジ・ピープルのメンバーに「おめえは本の読み過ぎなんだよ!」と叱られる、というシーンがオチに使われている始末。ごめんなさい、オレももう「ディスコの政治的意義」とか言わないことにします(笑)。
 そんな訳で、製作者の目論見は(たぶん)はずれて、微妙な着地点に到達してしまった作品だが、個人的にはなかなか面白かった。何よりも当時のディスコの映像が沢山出てきて、ファッシ
ョンや雰囲気がよくわかるのがよかった。ざっと時代の流れもつかめた。この映画に出てくる70年代の頃、当然自分は子どもであったためリアルタイムで馴染みがあったわけではない。しかし、90年代には友人たちと芝浦や西麻布や渋谷のクラブを回って色々な知り合いを呼んで遊んだこともあった。その勢いでNYのクラブ回りをしたこともある。なので、その経験の大元が映画によって確認出来たのは良かった。90年代でもゲイカルチャー的な要素など映画と地続きの光景が広がっていた、といっても過言ではない。
 ディスコ音楽自体は正直なところクズ率が高く、知らない人に積極的に勧められるような代物ではない。あくまでも上記の様な個人的な体験あってのことだ。しかし、嫌う人達が馬鹿にするそんなしょうもない音楽が驚くほどの影響力を持っていることが世の中の面白いところだ。映画にもあったように当時ロックアーティストはこぞってディスコ曲を出したし、ローラースケートで踊る人達はジャニーズへもつながっているはずである。しかし、結果的にはマイノリティのコンプレックスを開放するきっかけとなったにせよ、ディスコ音楽の送り手に政治的な意図はなかった。意図的にゲイ的なイメージをユーモラスに打ち出して人気を得たヴィレッジ・ピープルがそうした質問にいっさい答えようとしないのが印象的だった。作詞家の方が「ゲイ的なイメージを意図していた」と発言している一方で、ヴィレッジ・ピープルのメンバーは「そんな意味を持たせる歌詞をあいつら(作詞家)が作るはずなんかないんだ!全てその場の思いつきだ!」と頑なに認めようとしないのである(その辺りは不自然なほどで、逆に興味深いが)。
 というわけで、この映画のラストのように評価が定まらないのがディスコ音楽で、そんなとらえどころのなさが魅力ともいえる。そういう意味で実にらしい映画だった。ディスコを知っていて興味のある一部の世代にはオススメ(だが有楽町では今日終了してしまった。他でやることはあるのだろうか)。
 ところで一カ所意外にもデオダートが登場してファンとして喜んでたら、彼がクールアンドザギャングに曲を提供したあたりからディスコの堕落が始まったともとれる編集になっててガッカリした(笑)。デオダートも過小評価されているミュージシャンで、過小評価されている者同士でタコつぼの中でいがみ合っても不毛でしょ!だろうけどね(まあ単に編集があまり上手くないだけで、特に意図はない)

※追記 日本でいえば芝浦Gold辺りの大元といえる過激なディスコStudio 54に訪れたセレブリティの写真にはウォーホルやカポーティもいた。

※追記(3/24) そのStudio 54は店員が気まぐれに入れる人を選別していてカップルなのに片方しか入れなかったり有名人でも断られたりしたことがあったらしく、その辺りは一時日本のディスコ文化にも踏襲されたと思われるが、Studio 54入れてもらえなかったChicが怒りにまかせて作ったのが‘Le Freak’でそれが逆にバカ受けしたとかいう話もあった。狂乱の時代らしいエピソードだ。