映画‘真夜中のカーボーイ’

 

 どうしても「カーボーイ」っていうと個人的にはエキセントリック少年ボウイが思い浮かんでしまうんだが、有名なこの映画の邦題がそうだとはこれまで不覚にも知らなかった。
 
 苦い青春の喪失を描いた作品というイメージがあって、重苦しいだろう内容から敬遠していたが、最近シブいチョイスで注目されている新橋文化でやると知り予定が空いていたので観てきた。

 テキサスからニューヨークへジゴロとしての成功を夢見たカウボーイのジョーは、思うままにならぬ孤独な都会生活の中、マイアミへの移住に憧れるコソ泥のラッツオと同居生活を余儀なくされる。どん底の暮らしの中でチャンスを掴みかけるが・・・。

 へヴィな話という点は全く予想通り、いや予想以上で実現不可能な成功を夢見る二人はイタく青くナイーブな二人の心の動きが一層心に突き刺さり、本当に心が痛くなる。あまりに非現実的に夢見がちな二人にはもうオッサンになってしまったブログ主には正直共感することは難しい。ただ、イメージショット的に描写されるジョーの過去(祖母の溺愛とそれに反しながら共存する虐待や恋人との不幸な別離が示唆される)から年上の女性の庇護を求めるような仕事を選んでいるところは周到に描かれている。また1969年当時は旧来の価値観による束縛はアメリカでも非常に強かったことが推察され、時代的にはエイズ以前の性解放の時代ということでもあり、田舎を後にしてジゴロとして大都会ニューヨークで成功を夢見るという妙な青年の話も当時の若者には強い共感を覚えるものだったに違いない。
面白かったのは終盤のディスコ・クラブ文化の先駆けのようなパーティのシーン(やっぱりウォーホルのファクトリーのスーパースターたちがカメオ出演しているようである)。当時のニューヨークの空気感が分かる。一方テキサスやマイアミの描写も同時代のアメリカを伝えてくれて、むしろそちらの方に惹かれたというのが正直なところだ。いずれにしても歴史に残る作品であるのは間違いなく観て良かった。
(本当は併映の「コック・ファイター」も観たかったんだけど時間がなくて・・・とほほ)