『虐殺器官』 伊藤計劃

 傑作だった。
 サラエボでの核テロを契機に先進諸国で厳格な管理体制がしかれた近未来が舞台。主人公シェパード大尉が、内戦や虐殺が絶えない後進諸国で暗躍する謎の男ジョン・ポールを追う、という話。基本的にシンプルな筋に、しっかりと大ネタのSFアイディアがからむ。最近の日本SFはあまり読んでいないが、ある種伝統を感じられもするアイディアである。
 ここで描かれるのは悪夢の世界である。人間を殺害する任務を負った軍人がその肉体的・精神的苦痛をコントロールされながら任務を遂行する有様が丹念に描かれている。人間と社会といった現代ではやや大げさとも感じられるテーマが、個の問題として丁寧に考察され、結果として悪夢が確かな手触りを持って目の前に現出する。いや、その悪夢の一部はもう既にわれわれの隣に存在している。主人公がナイーブであることやシンプルな筋も効果的。少し未来を舞台にして、現代社会の闇の部分を照らし出すという実にSFの特性を生かした素晴らしいデビュー作である。
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