京都・神戸をゆく〜植治の庭 後編〜
さて後編、まずは洛翠庭園に向かう。
ここも現在は旅館。庭だけみることも出来るし(有料)、庭とお茶を楽しむことも出来るし、食事をするというチョイスもある。今回はせわしない無粋な旅行者のなので、庭だけ。もとは明治の実業家藤田小太郎の本宅だったらしい。中央の池は琵琶湖を模している(橋や石の配置などかなり細かく実際の琵琶湖を再現しているようだ)。これは琵琶湖を中心に事業を営んでいた家主にちなんだもので、水も琵琶湖より引いている。水を多く使った植治の庭は琵琶湖疎水の出現によって生まれたということらしい。
平安神宮中神苑と同じ丸い飛び石の橋。こちらも臥龍橋と呼ばれているらしい。
これは画仙堂。京都三仙堂の一つとか。左の奥には滝が。秋とか来るとまた違うんだろうなあ。
次に無鄰庵に向かったのだが、その前に琵琶湖疎水記念館に立ち寄る。明治の京都はなかなか大変だったようだ。幕末の戦乱で土地は荒れ、遷都のために商店や人々が次々に東京へ去ってしまう。そんなお先真っ暗な京都をてこ入れすべく京都府知事は、永年の夢である琵琶湖疎水事業の乗り出す。疎水、測量、土木に関する選りすぐりのエキスパートを全国から集める。しかしその道は平坦ではなか・・っ・・た。というわけでまさにプロジェクトXな世界が記念館のなかで繰り広げられています。
こちらが近くにあるインクラインのあと。坂道をレールの上に台車を乗せて舟を運んだそうだ。
こちらが山県有朋別邸の無鄰庵。こちらも国の名勝。軍を掌握するいかめしい政治家という一方で庭園づくりが趣味という顔を持つ山県は7代目小川治兵衛の有力なパトロン。明治29年に完成した。
亀のバランス。
滝は三段で豪快。
隅に洋館がある。ここで明治36年4月21日に山県有朋・伊藤博文・桂太郎・小村寿太郎により、国の外交政策を決める「無鄰庵会議」が開かれた。
そして円山公園。普通に出入り出来る公園だけど、これまた国の名勝だけあって庭は立派だ。
やっぱり大きな滝。
この後祇園辻利(すごい人気で割合若い人で混んでいた)でお茶を買った。ただこの後もう少し廻ろうとしたのだが、あとは行きあたりばったりでグダグダだった。最近旅慣れてないからなあ。実は庭園以外にも寺を廻ったんで時間があまりなかったのも事実。というわけで明日は、植治の庭以外で廻ったところを。