いまいちど『歌の翼に』

 再読してみた。やはり名作である。
 基本的なストーリーは皮肉屋ディッシュとしか言いようのない展開で、彼の最期を思うと実に痛ましいシーンも散見される。しかしこの小説の柱には主人公ダニエルの飛翔への憧れが絶え間なく流れているし、ヒロインであるボウアとの関係など彼自身の意思が強く現れているところもみられ、全体に悲惨な出来事が続く中にも力強さが感じられる物語となっている。
  再読して凄いなと思ったのは、テロが日常化して高度管理社会となってしまった閉塞的な近未来の米国が見事に描出されていることだ。時折生活を脅かす社会的な出来事が挿入され、配給制という言葉が登場するような非常に厳しい状況が示唆される。一般的にSFで使われる<上からの視点>で時代を追って歴史を記述していく方法をとらなかったことによって、あくまでも個の視点から絶望的な社会状況における人間が描かれているのだ。しかもダニエル自身特に政治的な人物ではないので、より多くの読者が身近な存在として読むことが出来るようになっている。また、その社会背景も考え抜かれているので(SFとしても読み応えがあり)、ダニエルの苦悩や夢は切実なものとして感じ取ることが出来る。だからこそ今必要とされる小説なのだと思う。
 個人的に興味深いのは、後半にダニエルが音楽業界に入ってからの話にミンストレル・ショウが大きく組み入れられていることである。ミンストレル・ショウはアメリカのポピュラー音楽の重要なルーツの一つで、十九世紀なかばから後半にかけて白人が黒人の扮装をして行った歌入りコミック演芸をいう(中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』)。黒人差別的な要素を多分に含んだこうした演芸から、結果的には黒人による文化が広まったり様々な音楽が融合した現代のポピュラー音楽が生まれるきっかけが出来た(ミンストレル・ショウそのものは毒抜きされるなど変質していったらしい)。これは「アジアの岸辺」などにみられるディッシュの好む<変身譚>テーマ(SFマガジン11月号若島正 乱視読者のSF短篇講義をご参照)にふさわしい題材である。それから各所にゲイらしいセンスも垣間見えるのも再読しての発見だった(そういった要素は慣れていない人には少し分かりにくいのかもしれない)。こちらの方についてはより詳しい人の考察を聞いてみたい。
 SF寄りの視点でみると、文学的な成功を目指しどちらかというと未来を予見すること自体にはそれほど重きを置いていなかっただろうディッシュが、優れた小説をものにしようと思考実験を重ね、伝統的な文学テーマを熟成させて、時代が経っても変わらない人間の本質を射抜いたために、あたかも現代社会を予見したかのような素晴らしい作品が生まれたこともまた非常に重要なことのように思えてならない。とにもかくにも何度も読み返す必要のある傑作である。