『エンジン・サマー』 ジョン・クロウリー

 機械文明が崩壊したはるか未来の地球。はっきりとした歴史が記されていない中、人々は過去の文明が残していった事物を元に新たに独自の文化を形成していた。思春期を迎えた主人公の少年<しゃべる灯心草>は魅惑的な少女<ワンス・ア・デイ>に思いを寄せ、聖人になることを夢見て様々な人々に出会い、やがて世界の成り立ちを知っていく。
 1990年に福武書店でハードカバー刊行された世評高い作品の復刊。今回初読で、派手なアクションや恐ろしい敵役が登場するといったこともない、思っていたより静かな作品だったが、これは確かに名作ですね。SFは元来思春期的な感傷と抜群に相性が良い訳だけれど、少年の恋と夢と大人になるとまどいといった王道のテーマに真っ向から挑みそれをメタフィクショナルな手法で描くといったことを成し遂げているし、またそんな難しいこと
をいわなくても平たい意味で素晴らしく美しい青春SFでもあるのだ(以後直球のSFが少ないらしく、SFファンの渇望を誘ってしまった、という罪な作品でもある)。辛口のディッシュがほめたというのも納得だ(解説より)。おそらくは一つ一つの言葉に重層的な意味が重ねられているだろうから、原書で読むと深く楽しめるのだろうな。何はともあれ日本語で読めることには感謝をしたい。おそらくは文学的にもいろいろな作品との関連性が語られうるのだろうが、タイトルにブラッドベリへのオマージュが含まれる様に過去の様々なSF作品も下敷きになっていると感じられ、SFの成熟を示す好見本だったとも思える。本書に施された様々な技巧は(いやもちろん自分の場合、ネットや本書巻末の解説でおぼろげに把握できる程度だけど。というわけで巻末の解説は詳細なので必ず読了してから読むことをおすすめします)、30年を経た現代にこそ凄さが分かるもので、今こそ読まれるべき作品でもある。そういった意味では1950年代のSF黄金期から、ニューウェーヴでのディッシュやディレイニーらの実験の時代を経て、1979年の本作(やジーン・ウルフの諸作)のような高度な文学的SFが生まれた、というようなアメリカSF史について言及する誘惑に駆られてしまうが、そういった俯瞰的な話はもっと詳しい方々にお任せした方が良さそうなので略。自分にとっては、何より作者の物語への思いの深さに胸を打たれた。作中の様々な仕掛けについてはともかく、本作の大きなテーマとなっているのが「物語についての物語」であることは書いてもいいだろう。そして本作は、どんな未来が訪れても物語は生き続けるのだ、という「物語」に対する信頼を描いた小説なのだと思う。その思いが作品として結晶していること、それが感動的なのだ。