『モーフィー時計の午前零時』 チェス小説アンソロジー 若島正編

 チェスなんてやったことないけれど、若島アンソロジーなら即買いだ。で、いうもでもなく大満足の面白本だった。まあチェスファンならさらに何倍も楽しめるのだろうけど。(○が特に楽しめたもの、エッセイは感想のみ、ダンセイニのチェス・プロブレムはさすがに分からないので略)
序文「チェスという名の芸術」 小川洋子 自身がチェスを指すことが出来ないチェス小説の作者、というこうしたテーマアンソロジーの敷居を取り除くにはうってつけの人物による美し過ぎる序文。『猫を抱いて象と泳ぐ』を早速購入してしまった。
「モーフィー時計の午前零時」○フリッツ・ライバー チェス愛好家が骨董品店で目にしたのは幻のモーフィーの時計だった。ライバーらしい雰囲気のあるホラー。チェス名人の薀蓄が登場する、のっけからチェスマニア度の高い作品でもある。それにしてもチェスが趣味とはライバーも様々な顔を持つ人だ。モーフィー時計の写真が解説に載っているが、あまりに素敵で骨董趣味の皆無な当ブログ主でも欲しくなるくらいである。
「みんなで抗議を!」ジャック・リッチー 高速道路建設を何とかやめさせたい住人アルバートはある方法を思いつく。これまたらしい軽妙な味のある一編。
「毒を盛られたポーン」○ヘンリー・スレッサー 入院中の病院でマイローがその経緯を語りだす。毒を盛られたのだという。二転三転、ユーモア風味のある鮮やかなミステリ。
シャム猫フレドリック・ブラウン チェス中に突然銃撃された主人公。犯人はあいつなのか。チェスマニア度は低め。解説でもアイディア豊富とあるが、人を驚かせるという意味でとにかくブラウンの発想には感心させられる。
「素晴らしき真鍮自動チェス機械」○ジーン・ウルフ とある村に興行にやってきた香具師。彼は古の自動チェス機を披露しようというのだ。基本的にはちょっと皮肉な民話風でウルフとしては分かりやすい話。でもどうやらそれだけじゃないよな。
ユニコーン・ヴァリエーション」ロジャー・ゼラズニイ 実はこの世の中、自然界の種に関する驚くべきルールがあったのだ。そんなこんなで人間の存亡をかけて主人公はユニコーンとのチェス対決に挑む!伝説の生き物が次々登場する楽しい一編だが、棋譜がしっかりたどられるというなかなかに濃い作品でもある。
「必殺の新戦法」○ヴィクター・コントスキー ぱっとしないチェスプレイヤーが生み出した衝撃の新戦法とは。破壊力満点爆笑必至、是非御一読。
「ゴセッジ=ヴァーデビディアン往復書簡」ウディ・アレン 通信対局(「マスター・ヤコブソン」にも出てくるが、こういう形式の対局があるんだね)をめぐっての手紙での応酬合戦。嫌味な双方のこき下ろしぶりが凄まじい。ウディ・アレンは不勉強で映画も小説もよく知らなかったが、小説の評価も高いのはなるほど。
「TDF チェス世界チャンピオン戦」ジュリアン・バーンズ これはエッセイ。チェスの世界戦をめぐっての狂想曲を活写。魅力を欠いた挑戦者を国の代表として盛り上げようとする英国の島国根性といった下りやスポーツの大会のように演出しようと画策するマスコミへの疑念は、既視感たっぷりといった感じで実に納得させられる。訳者渡辺佐智江さんならではのフレーズが垣間見えるところも読みどころ。チェスの対局に関して?決定戦といっても随分多くの対局をするようだ(将棋より多そう)?セコンドがつくらしいといったあたりはちょっと驚き。
「マスター・ヤコブソン」○ティム・クラッベ 主人公ヤコブソンはチェス界の著名人。母校の祝典のイベントでチェスの同時対局に呼ばれ、今や世界チャンピオンの挑戦者になってしまった後輩とのたった一回の対局を思い出す。そこで出会った一人の少年の通信対局の申し出をなんとなく引き受けてしまう。グランドマスターでありながら勝負師としては一線を退いた主人公、主人公を追い抜いて世界戦に挑もうとしている男、純粋にチェスが好きな少年といった人物配置が絶妙で、さらに展開も静かながら起伏に富んでいて本書では一番面白かった。ラストに程よく苦味の漂う、
大人の小説である。
「去年の冬、マイアミで」○ジェイムズ・カプラン チェスに没頭する主人公の身近には気になる一人の天才プレイヤーがいた。少年期からプロになろうとする時期のチェス・プレイヤーの打ち込みぶりや苦悩が(おそらく)リアルに描かれている。≪将棋ジャーナル≫に以前訳載されたというのも納得。
 テーマ・アンソロジーだから細かくいえば少々ネタが重なる作品もある。解説に多くの棋譜が並んでいる実にマニア度の高い本であることは否定しないが、それで見切るにはあまりに惜しいチェス素人(=カタギ)でも十二分に楽しめる一冊である