『異端の数ゼロ』 チャールズ・サイフェ

 久しぶりの科学ノンフィクションである。これは1999年に原書が出て、2003年に翻訳が既に出ていたというのだから、あまり新しい本ではないのだな。数学の本だからそう簡単には古びるわけではない(だろう)から、まあいいか。著者はサイエンスライターだそうだが、基本的に本筋の数学の話から脱線せずに素人にものみ込み易く進行させながらチラッチラッと数学者たちの人間味あるエピソードを見せていく手つきがなかなか見事だ。特に前半のゼロの概がいかにして生まれ、その一方で拒絶されていたかという話が面白い。現代ではゼロのない計算など考えられないが、実はゼロが無くても物や時間は数えられるらしい。異なる数学体系を持ったギリシア人もエジプト人もゼロを発見せず、ゼロはバビロニアで生まれた。しかし無を恐れる西洋哲学とゼロの概念は衝突し、それは受け入れられないばかりか深刻な対立すら引き起こしたのである(大事な大事な暦すらゼロがないばかりにずれてしまうのに、それを受け入れられないローマ人は一見滑稽ですらあるが、現代のわれわれだってなんらかの盲点を持って暮らしているだろうことを考えるとなかなかに重い問題である)。その一方で、インドではゼロの概念が受け入れられ、さらに発展させた。このように様々な文明の特徴がゼロという切り口で語られるのも興味深いし、そうした文明のいろいろなつながりにも興味を惹かれた。そしてゼロの概念が無限という概念と表裏一体の関係にあることも提示されるところもスリリングである。人間的なエピソードの方でもパスカルVSデカルトとかニュートンVSライプニッツとか名だけ知っている人々の位置づけもついでに知ることが出来たので何だか得した気分である。後半はSFファンお馴染みのビッグバン、ブラックホールワームホールの話も飛び出して実にリーダビリティの高い楽しい数学ノンフィクションである。