『クルーイストン実験』 ケイト・ウイルヘルム

 先日ル・グィンを読んだが、フェミニズムSFといえば他にケイト・ウイルヘルムを思い出す。というわけで、これまでほとんど読んだことがなくて(アンソロジーの短編ぐらい)積読していたウイルヘルムを初読気味でトライ。いやー面白かったですよ。高い評価を得ている作家だというのも納得。
 主人公は、苦痛を取り除くという夢の新薬を開発している研究者アンとクラークの夫婦。実験の中心人物であるアンは交通事故の後遺症からリハビリ中であった。新薬Pa因子はほとんど完成かにみえたが、実験動物の猿たちに暴力的な行動が目立つなどの異変が起こる。認可の手続きをすすめようと、早めに人への投与試験を行おうする会社の意向の中、アンにも不可解な行動が目立つようになる。クラークはそんなアンが事故後の苦痛からPa因子を使ったのではないかと疑いを持ちはじめる。
 何よりも登場人物たちの心の機微が巧みに描かれているところが凄い。長編としてはそれほど長いわけではない中に結構な数の登場人物が出てくるが、ちょっとした場面でのセリフや心理描写でそれぞれが立体的に立ち上がってきて、その思惑の絡み合いが伏線となっていくところが何とも素晴らしい。基本的には男性のエゴイズムに苦しむ女性といったテーマが中心にあるし女性視点からのセックスに関する問題提起もありフェミニズムSFらしい作品ではあるが、そういったディスカッションが作品のバランスを崩すほど全面に登場するわけではなく、むしろ女性をめぐる諸問題が多様な立場の登場人物たちのエピソードの方から透かしだされるようになっていて、最終的には(男女というより)人間そのものの孤独・傲慢といったテーマにもなっているので、フェミニズムといった視点がないような読者でも十分面白く読めると思う。SF的アイディアの占める比重は大きくはなく、今だったらスリップ・ストリームといった位置になりそうな作品だが、苦痛というキイワードが全体の一貫した柱になっていてそれが取り除かれたらどうなるのかという思考実験が背景になっているのだから、やはりSFならではの作品といえるだろうと思う。