「わが名はジョー」とアバター

 elekingさんに教わった映画アバターの元ネタ、ポール・アンダースン「わが名はジョー」収録のアンソロジー『スペースマン』を持っていたので読んでみた(結構元ネタに気づいていた人も多いみたいだな)。この『スペースマン』読んでいたつもりだったが、どうも数作を除いてまだだったようだな。何だか記憶力の衰えが哀しいやとほほ。まあそれほともかく、なるほど似ているところが多い。
 「アバター」の方は、資源豊富な星の原住民との交渉を円滑にするために、人間と原住民を遺伝子的に組み合わせた擬体をつくってそれを負傷兵で下半身不随になった主人公が遠隔操作する話。
 「わが名はジョー」は、事故で下半身不随になった科学者が人間が直接入ることのできない過酷な自然環境の木星を擬体を使って遠隔操作で探査する話。
 擬体を使うことによって、異星の地球とは全く異なる美しい世界を自由にかけまわり主人公が解放感を得ていくというはじめの方の展開は酷似している。ただそこから先は異なる。「アバター」では植民地問題や環境問題の要素をはらみながら、善悪の対決をクライマックスとするアクション系のエンターテインメントへ進む。「わが名はジョー」は擬体に意識を投射する装置の故障の謎の解明が中心となり、主人公の変容といったサスペンス風味の話になる。
 年代もメディアも違うしどちらがいいというわけでもない。「わが名はジョー」の木星の描写は古びているし、昔ながらのテレパシーのイメージをちょっともっともらしくしただけのようなメインアイディアもさすがに時代を感じさせるが、意識の転写といった現代でも好まれるテーマを扱った先駆性があるといえる。一方、元のアイディアから娯楽度の高い映画に仕上げた「アバター」はアレンジが巧かったともいえるだろう。