『空洞地球』 ルーディ・ラッカー

 さて久々に(10年ぶりぐらい?)奇想ハードSF作家ラッカーを読んでみた。

 舞台は1830年代のアメリカ・ヴァージニア州。主人公の文学少年メイスン・レナルズは15歳になり奴隷と共に初めて旅に出るが、早々にお金を騙し取られてしまう。何とか取り戻そうと焦る中、予期せぬ銃撃戦で殺人を犯してしまう。昔馴染みの奴隷にも愛想を尽かされ一文なしのメイスンは憧れのエドガー・アラン・ポウに助けを求めることを思いつく。そしてポウの熱心な読者であることをアピールすることに成功した彼は印刷見習いとして雇われ、やがて地球空洞説を唱えるジェレマイア・レナルズらの地球内部を目指す探検に参加することになる。

 というような話なんだけど、これがかなりの怪作。荒唐無稽な説をベースにしているが、そこは本職の数学者でもあるラッカーは理論を駆使して力技で空洞地球のある世界を創出する。そのため気宇壮大な話になり、かなり頭がくらくらしてくる。もちろんこの空洞地球には奇妙奇天烈な生物もいろいろ登場する。さらにこの作品はポウへのオマージュを意図したもので、ポウに関するネタもふんだんに入ってくるし、全体が<メイスンによる著作にラッカーによる解説がつく>というメタフィクション形式のものになっている(言及されているポウの作品を読みたくなるよ)。そこにクトゥルーネタ、空飛ぶ円盤、人種差別を反転した仕掛け まで盛り込まれる。いやーこんなのラッカーにしか書けないよ。
 だったら、大傑作なのかというとこれがそうでもないのが不思議なところ。ハードなアイディアのため理解が難しいというのはあるがむしろそれ以外の問題の方が大きい。まずは、横山えいじの表紙の様な感じの楽しいコメディではないのだ。登場人物たちは次々に死んでいくという陰惨ともいえる展開だし、主人公のメイスンも我が強く冷淡でもあり決して魅力的な主人公とは言えない。で、オマージュなのにポウもかなり悲惨な目にあい、ラッカーが愛を持って描いているとは正直思い難い(ヴァージニアとの話もヒドイが、未来に当たる世界へ行ってしまったために書こうとしていた作品の完成品を先に手にしてまうといった話などは愛情があったら書けないんじゃないのかなあ)。
 そうはいっても、反転を繰り返すハードなSFアイディアの連発にフィクションとして様々な仕掛けを加えた非常に野心的な作品で、スゴいのは確か。果たして再評価される日は来るのだろうか気になる。
 で、ついでに読了後に偶然CSやっていた地底旅行もの「センター・オブ・ジ・アース」も観た。ラッカーが懸命に考えたハードSFアイディアを軽〜くスルーした(笑)、肩の凝らない娯楽映画で、ややチープなCGも気にはなるものの、全体には手堅い仕上がりで家で観る分には満足な出来。