神戸備忘録
所用で神戸へ。史跡などをちょっとだけまわった。(備忘録なので単なる羅列です)
まず須磨の方へ。これは敦盛塚。16歳の若さで熊谷次郎直実の討ち取られた悲劇の武将「平敦盛」の供養塔(北条貞時が平家一門を供養するために建立し「あつめ塚」といわれていたのが「あつもり塚」と呼ばれるようになったとの説もあり)
というようなことについてはここを参照した。
次に須磨浦公園の句碑などをみてきた。これは蕪村の
春の海 終日のたり のたりかな
の句碑。
というわけでそこから少し上ったところで海の写真。電車もあって大分雰囲気は違うだろうけど穏やかな春の海だった。
これは芭蕉。
蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石
五十嵐播水という方の句碑。明治生まれの俳人でお医者さんでもあったようだ。
下り佇てば 遅日の淡路 籬の上に
こちらは正岡子規・高浜虚子の師弟句碑。師弟句碑というのは珍しいらしい。
虚子の東帰にことづてよ 須磨の浦わに書寝すと 子規
子規50年忌月を思い 人を思ひて須磨にあり 虚子
その後須磨寺へ。一の谷のあたりもゆっくり散歩したかったのだが、時間がなかったので山陽電鉄を乗り降りしながら駅近くの名所をつまみ食い的にまわった。そのため弁慶の鐘ぐらいしか記憶にないな・・・。敦盛の青葉の笛とか句碑とかもいろいろあったみたいだがしまったー。
光源氏の住居跡といわれる現光寺もちょっと寄った。
逆光写真ばっかりだな(とほほ)。源平合戦勇士の碑、平家方の知章、通盛とともに源氏の木村吾重章、猪俣小平六則綱の碑がまとめられている(移動して集めたらしい)。もっとわかるアングルで撮るんだったなー。
監物太郎頼賢の碑。平知盛の家臣。知盛を守ろうとして知盛の長男知章とともに討ち死にしたらしい。これまた写真が・・・。
全体的に駆け足かつ下調べ不足で消化不良だったなー。まあ平家物語を読む時の多少の手がかりにはなるかなー(やっぱそっちか)。