『夜の樹』 トルーマン・カポーティ

   美しく儚く歪んだ世界。ほとんどが20代前半で書かれているのが信じられない。作品の完成度もそうだが人間の暗い部分に対する底知れぬ洞察力がとても若者のものとは思えない。
 「ミリアム」「夜の樹」にはいずれも孤独な女性の静かな時間をおびやかす侵入者が登場する。その恐ろしさと鬱陶しさの混ざったいやーな感じが実に素晴らしい。ニューヨークの広告業界で働く傲慢で傷つき易い男の話「最後の扉を閉めて」は、作家自身の人生を予見したかのような驕慢と裏切りと慰みの話で変にドキドキしてしまう。絵画をめぐる秀逸なホラー「無頭の鷹」は細部の良さも際立ち、その筋の人にもおすすめ。「ぼくにだって言いぶんはある」も相当悲惨な結婚失敗話(ちょっと聞いてよ!みのさん!)なのだが、珍しくコミカル。「夢を売る女」「銀の壜」はいわゆる奇妙な物語でわりと普通。
 「誕生日の子供たち」「感謝祭のお客」では子供たちの生き生きとした姿が見事。解説ではそうした無垢なるものの話と都会の孤独な話をはっきり区別しているがちょっと違和感ある。子供たちの見る世界も彼らが傷ついているためにどこか歪んでおり、残酷なルールにも支配され、たくさんの美しい瞬間が描かれながらその儚さも無残に示されているのだ。(それにしても「誕生日の子供たち」のような読後感を味わったことはこれまでになかった。まんまと語りの術にはめられたのだ。)もちろん大人たちもいわゆる成熟した人たちではない。「感謝祭のお客」に出て来るミス・スックは60代にも関わらず大人よりも子供の世界の近くにいるように、都会を舞台にした話の主人公たちも大人でありながら社会にうまく適合できない、あるいは不安を抱えた人々である。つまりどの作品も子供が主人公、というようなものだ。さらなる驚きは、これらの作品に出て来る大人のような人間に作者本人がなってしまったことかもしれない。ラファティの名言が思い浮かぶ。「わたしはおとなにはならなかった。ただ、みっともなく年をとっただけだ。」
 いや、カポーティのような大天才の作品と実人生を重ね過ぎるのは失礼だろう。孤独な人間のみる美しい悪夢が見事に描かれた名作揃いなのだから。

 ああところで牛島にはもう少しやってもらいたい気はしています。<ベイスターズ
追伸:だめだったようす