『ニュー・ワールズ傑作選』

 ブログ開始から1年が経ちました。当てもなく続けているような中、読んで頂いた方々には多謝多謝であります。
 1年でいちおうメインとしていた読書感想は60冊ぐらい。新刊ないしそれに近いタイミングのものは14冊ほど。SF系は30冊ぐらいで約半分。もう少し新刊を増やしてフレッシュな感じにしたいものである。

さて1周年記念のネタはこれである。<新刊どころか、やたらと古い本じゃん!(実はここで実物を手にしてから興味が出てリアル古書店で購入したのである)
 SFを読み始めてほどなく、ニュー・ウェーヴSFという強敵に出会った。1980年代初めぐらいのことである。なんだか暗い感じだし、なにより難しくて何が書かれているのかさっぱり分からない。特に翻訳作品が分からない。大体登場人物の名前が覚えられない。そんな時、「よく分からぬものは無視するという」のは大変賢明な態度であるが、当ブログの中のオヤジは何とかしてしてそれらを理解できる立派なオトナになりたいと考え、ともあれその厄介なものに挑戦することにした(理解ができることが必ずしも立派でもオトナでもないことは後になって知るのだが)。大体において10代の頃はそういった難しいものに背伸びをするのが好きだろうし、単にそのパターンにはまっていただけといえる。ただ、ひとつ自分なりにいえば、何よりもニュー・ウェーヴがカッコよく思えたということである。そのカッコよい印象というものはサンリオSF文庫のイメージと一体化していた、と書いてオールドSFファンの中に首肯される方もあるだろう。
 かくして、断続的に少しずつニュー・ウェーヴSFを読み続け、今に至る。未だによく分からないものもあるが、時代の流れもあり、印象が変わることになったものも多い。全くピンと来なかったバラードの凄さが理解できるようになったのは大きかったし、一言でニュー・ウェーヴといっても個々の作家で目指しているものにそれぞれ違いがあったことも分かった。そういえば昔クリストファー・プリーストバリントン・ベイリー、イアン・ワトスンまとめてバラードの不肖の弟子なんていわれていたこともあったなあ。今にしてみると、ひとくくりにするのは無理があるような気がするが。
 そういったわけで(どういったわけだ?)浅倉久志伊藤典夫の黄金コンビの提供による『ニュー・ワールズ傑作選』である。。現在ではふつうのSFといって通じるものも多いし、読みにくいというほどでもない(さすがに濃縮小説は厳しいかもしれないが)。少なくとも『新しいSF』(サンリオSF文庫)より個々の作品はふつうっぽいといえるのではないか。

 「小さな暴露」(ブライアン・オールディス) 至極まっとうなSF.イメージが映像的で鮮烈なのがオールディスの美点と思う。

 「12月の鍵」(ロジャー・ゼラズニイ) これもストレートなSFだが抒情的でさらにメインストリームな感じ。

 「暗殺凶器」(J・G・バラード) 昭和46415日発行の本書で、初めて濃縮小説が紹介されたことになるらしい。あまり先駆性、先駆性と騒ぐとアホみたいだが、〈断片化してゆく世界〉を描くための手法を見つめていたバラードの慧眼には感服せざるを得ない。

 「ノーボディ・アクスト・ユー」(ジョン・ブラナー) 解説では「アメリカ的パルプSFの悪癖から脱却したとはいえない」などと厳しいことが書かれている(本書ではそれぞれの作品に訳者が解説を書いていて、本作は伊藤典夫氏が担当)。個人的にはジョン・ブラナーは優れた視点の持ち主だと思う。本作の背景は人口爆発社会のディストピアを描いていて、その点は現代の日本ではピンと来ないものの、本筋のネタは暴力的テレビドラマによる人気女優という20世紀SFのシリーズでも繰り返し扱われていた〈メディアとアイドル〉のテーマであり、なかなかいいところをついている人なのではないだろうか。

 「二代之間男」(デイヴィッド・I・マッスン) マッスンの「旅人の憩い」は、スケールのでかい思索的ハードSFが短い中に凝縮されている傑作で、ある意味でイーガンを思わせるところすらある(順番は逆だけど)。本作はそれとはまた違い、基本的にはコミカルな話を擬古文で描いている(らしい、原文はみていないが)1693年からタイムマシンでやってきた人物が現代社会をどう感じ取っているか、という話だが、その現代社会がまた数十年経って変わっているのでこれまた不思議な作品になっている。マッスン自身もニュー・ウェーヴと共に去っていった謎の作家らしい。浅倉御大の凝りに凝った訳文が凄い。

 「音楽創造者」(ラングドン・ジョーンズ) 『レンズの眼』は持っていないけど、いつかは読んでみたい。本作はディスカッションがなかなか興味深い音楽SF。これもストレートなアイディアSFと言えるのでは。

 「リスの檻」(トーマス・M・ディッシュ) 最初に読んだのはいつのことだったか。さっぱり分からなかった(吾妻ひでおのパロディは笑ったけど)20世紀SFの時ですら、ピンと来なかった。その後『アジアの岸辺』が紹介され、ディッシュへの言及が多くなり、本作が作家の内面を描いたものだと知ることになった。読書としては、外情報から解読するのは邪道かもしれないし、自分の読解力の程度には情けなくなるが、ともあれディッシュが随分身近になった。

 若かりしムアコックの熱い奮闘ぶりが、巻末のニュー・ワールズ小史でうかがえる。手に入りにくい本も多いし、意図したSFの革命に寄与したとも思えないものも(正直なところ)多そうな感じもするが、個人的体験として今後もニュー・ウェーヴSFを読んでいくと思う。