『オコナー短編集』

 「頭をぶんなぐられたようなショックを味わう」、と若島正はいう。
 フラナリー・オコナーは、紅斑性狼瘡(膠原病の一種)という難病に侵され、1964年に39歳の苦痛に満ちた生涯を終えたというアメリカ南部のカトリックの作家である。その作品は、当然キリスト教色が濃いものの、教条的というよりも苛烈で激しいもので、時にショッキングですらある。どれもなかなかインパクトが強い短編集である。
 「川」 男の子が子守女と説教師に会いにいく話が、どうしてこんなことになってしまうのだろうか。巻頭の一編から驚かされる一方、実に宗教色が強いものともいえる。
 「火のなかの輪」 良識あるコープ夫人の元に訪れた不良少年のグループ。穏やかに彼女は接しようと努めるが・・・。コープ夫人と少年たちの何気ないやりとりの中に静かな緊張感が漂う。品なく本音をぶちまける使用人のプリチャードさんの存在感も印象深い。
 「黒んぼの人形」 二人暮しの少年とその祖父。二人は
15年ぶりに少年が生まれた町に向かう。これまた出来事としてはどうということがない話なのだが、ぐいぐい読ませるんだよね。老人の苛立ちなんかもよく出ている。若いころに読んだらきっと、腹の立つジジイだな、と思ったのだろうけれど。
 「善良な田舎者」 これは凄い。集中No.1。言及されることも多いようだ。ホープウェル夫人は学歴の高く足の悪い独身の娘と使用人
4人家族と暮らしている。ある日、聖書売りの素朴な若者がやってくる。最後の最後までどうなるかとひきつけられる話である。背景にその娘の苦悩があり、ずしりとした読後感が残る。
 「高く昇って一点に」 血圧が高く減量の必要な母親をバスでYWCAに連れて行く息子ジュリアン。黒人をめぐるバスのなかの顛末。
1961年の作で、公民権運動がおこり黒人の地位が向上しつつあったが、まだ十分に法整備などが追いついておらず、人々にも根強い差別意識が残っていたころだろう。  
「善良な田舎者」にもみられた、大学での子供と親の考えの溝を中心に据えた作品といっていいのかもしれない。ただ、その溝の描かれ方は表層的ではなく深い闇を感じさせるものだ。
 「啓示」 夫の怪我のために病院へやってきたターピン夫妻。これまた予想外な展開となる。本作品の後半では重要な部分で描写の省略が効果的に使われており、オコナーの素晴らしいストーリーテリングはその巧みなテクニックに支えられていると思われた。
 「パーカーの背中」 背中をのぞいた体中に入れている男。男は刺青を嫌う敬虔なクリスチャンの女と結婚する。結婚後も夫婦の意識の差に悩む彼のとった行動とは。これも迫力がある。複雑な心理の男が確かな存在感を持って描かれる筆致が見事。


 脱線するが、オコナーのことを知ったのは2年前くらいで、はじめて名前を見たのはAmazonのおすすめ商品だった。当初ずれの多かったおすすめ商品だが、割といい線をつくようになってきた気もする。