『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』 トーマス・マン

 若いころにほとんど古典を読んでいなかったので、この年になって少しずつ読むことになってしまった。トーマス・マンなんて初読だ。デュ・モーリアの「美少年」の元といえる「ヴェニスに死す」に興味をもったということで。題名の通り2作入っている。
 むしろ楽しめたのは「トニオ・クレーゲル」の方。不埒な読者なのでムツかしい文学芸術論議をさっさと飛ばすと(<おいおい)、典型的な文学少年の物語である。以下あらすじ。

 傷つきやすい一方でプライドの高い文学少年トニオは北ドイツの裕福な家の子息である。トニオは、同様に裕福な家の明るく美しい少年である友人ハンスにコンプレックスをいだいている。またあこがれの美少女インゲにひそかに思いを寄せるがうまくいかず傷ついてしまう。さて成長して30代になったトニオはミュンヘンにうつり作家として知られるようになるが、芸術と生活をめぐる悩みは解消されておらず、友人の女性画家リザヴェーダと議論する。思い立って彼は故郷の町を再訪する。

 気難しいトニオは周囲の人が話しかけてきても自分語りばかりで迎合しようとしない。よくいえば芸術的気質が強い人物であるが、はっきりいってイタい人ともいえる(実際にリザヴェーダの‘痛い’という指摘もある!P54)。マンがそうした主人公の性格を意識的に書いているのは間違いないと思う。周囲の人間は決して悪意をもって描かれてはいないし、リザヴェーダに至っては良心的な忠告までしてくれるのだ。それでもトニオは分かっちゃいるけどやめられない、のである。さらに面白いのは故郷の町で犯罪者と間違われ捕まりそうになるエピソードである。まあエンタメではないので単に捕まりそうになるだけなのだが、「そうなったのも仕方がない」というような独白もあって、何か裏がありそうである。何はともあれこのエピソードでトニオの存在にふわっと謎めいた部分が出てくる。芸術うんぬんのテーマを別にしても、悩める人間の心理を描いた実に味のある短編である。
 で「ヴェニスに死す」はタイトル通りになるヴェニスで美少年に惚れる中年文学者の話で筋を楽しむということにはならないので雑感を少々(芸術的古典的な解釈ではいろいろな面があるのでしょうが)。100年前のヴェニス、どうやら現代とあまり変わらず、輝くばかりの美しさと相反するような観光事業の胡散臭さが同居する場だったようだ。疫病(コレラ)が蔓延し始めるヴェニスでの出会いという生と死の交錯する舞台設定はやはり(いまさらの10乗ぐらいでしょうけど)名作にふさわしい。主人公がほとんど見つめてるだけなのがなかなか怖い。