『太陽の帝国』 J・G・バラード

 長らく積読していた。実は刊行当時に途中まで読んで止めてしまっていた。まだSFばかりを読んでいた時期だったので読み始めたはいいが、普通小説であるというだけで物足りなくなってしまったのである。さて今回、ああ実にバラードらしい小説だなあということがいまさらながらわかった。
 第二次大戦下の上海。主人公ジムはイギリス人租界(外国人居留地)に住む少年。真珠湾攻撃のあとに日本軍が租界に進駐し、ジムは家族と離れ離れになってしまう。戦時の危険な状況下で両親との再会を夢見るジムはさまざまな体験をしていく。
 少年ということで兵士などの眼をかいくぐっての冒険小説の要素も含まれてはいるが、収容所を中心とした生命が常に脅かされる抑圧的で厳しい日常が話の中心となるので、基本的には重苦しい話である。名前や作者のプロフィールを考えると自伝的な要素は強いのだろう。そうした意味でバラードの著作の中では伝統的な一般文学に最も近いといえそうだ。しかしここに描かれるものはまぎれもない死と暴力と性衝動(これはやや控えめかな)の混在したバラード・ワールド。夥しい数の死体、墜落した飛行機、核の影といった情景を描くことに力点が置かれているので、例えば捕虜の側の視点の小説であるにもかかわらず日本軍は憧れの対象だったリする。孤独な少年が成長していくというある意味小説として王道をゆく話でありながら、バラードが書くとこうなってしまうのかという驚きがある。特に収容所という閉塞的な空間の中で倒錯的な心理的解放を得ていくジムの心理描写はバラードならではで、二度の世界大戦を経験した大量死の20世紀から連なる現代になお衝撃を与えていると思う(結局ジムは一生この戦時下の世界の心理的虜囚となってしまうことが示唆されている)。
 本書の訳者によると、両親と離れ離れになるというこの作品の基本的な枠組みが実際のバラードの体験と違っている(実際には家族と一緒だった)ことや一部非現実的な描写があることなどから「作者の誠意を疑う」といった発言が繰り返されたことがあったらしい(SFマガジン1997 3月号J・G・バラード特集‘生身のやさしい女たち’高橋和久)。現実にあった出来事(重くかつ多くの人にその記憶が残っていた出来事)をモチーフにしていることや一般文学寄りのストーリーでむしろ幅広く読まれたためにバラードの小説に慣れていない読者も多かっただろうことを考えるとそうした誤解はやむを得ない面もあるだろう。それにしても読者が作者に期待をしてしまうこと(そして生まれてしまう誤解)を考える上で興味深い話である。