『軍犬と世界の痛み』 マイクル・ムアコック

 Thornさん(orionaveugleさん)のtwitterの書き込みを見て、積読の本書を思い出し、読み始めたら止まらない止まらない。これまで読んだ中では一番面白かったムアコック作品。
 あらすじについては石堂藍氏の解説が非常に親切。おおざっぱな引用(に多少追加)。舞台は1631年プロテスタントカトリックによる三十年戦争が繰り広げられていたヨーロッパのドイツ。ドイツ地方の人口の三割が減少したという凄惨なマルデブルグの戦いに参戦した主人公のウルリッヒ・フォン・べックは<軍犬>の異名をとるほどの戦士であったが、それでもこの戦いの後、神を信じられぬようになっていた。そんな彼が戦列を離れ迷い込んだ静謐な森で、そ謎めいた貴婦人サブリナに出会う。たちまちサブリナの虜となったウルリッヒだが、彼女が堕天使ルシファの囚われの身であることを知る。サブリナの解放を願い出るウルリッヒは、その願いと引き換えにルシファから神との和解のため‘世界の痛み’を癒す聖杯を探し出すことを命じられ、その旅が始まる。
 ということで聖杯探しの物語であります。筋はいたってシンプルで、ダークな中にヒロイックファンタジーらしいアクションが織り込まれていてそれだけでも素晴らしいんだけど、この作品では実際の歴史が背景になっているのがいい具合に重しになってさらに緊迫感というか臨場感があふれるものとなっている。一方で無残な歴史の記憶をフィクションに変換することによって重苦しさを乗り越えて歴史を俯瞰することが可能になり、現実と虚構のはざまの世界を創出することが出来ることになる。改変歴史ものなどで使われるこうした手法の利点がよく分かった気がする。この作品と同時期に歴史ものをいろいろムアコックが書いているようなのだが、そうした手法の使い方に自信を持っていたに違いない。また、旅を共にする陽気で荒っぽい若者セデンコ、聖杯の秘密を握る隠者フィランダー・グールト、禍々しい宿敵クロスターハイムなど個性豊かな主要登場人物の配置も見事で実にリーダヒリティが高い。意外と見逃せないのが全体に軽く漂うユーモア(特にセデンコの言動)。これはエルリックにはあまり感じられなかったもので、発表時期からしてその辺は円熟味を増したというところだろうか。
 ムアコックは神・悪魔・地獄といったやや抽象的でとっつきにくいテーマを分かりやすく提示できる稀有な作家だということが今回よく分かった。やはり偉大な作家、なんだな。