横浜トリエンナーレのあまりよくない思い出

 現在開かれているイベントで、今回は行ってもいないイベントについて水を差すのもなんだが、数年経ってもやはりあれはよくなかったのではないかと思う出来事があったので書いておこうと思う。
 この横浜トリエンナーレ2001年から約3年ごとに開かれている現代美術のイベントで、みなとみらい地区がアートであふれ基本的には垣根の低い一般の人がアートに親しむようなタイプの企画である。2008年に何の予備知識もなく当時小学2年生の子どもと二人でみに行ったのだが、アートを体験してもらおうというような趣旨と実態がものの見事にすれ違っている事例を体験してしまったのだ。ポイントを時間経過を追って羅列する。

?入ってみるとまず子どもコーナーらしきものがある。薄いベニヤで出来たゆがんだ家の形をしたオブジェにうちの子どもが駆け寄ってくと 「ダメ!触れないで!」と係員に引き止められる。えー子ども企画なのに触るなって・・・。まあこれは序の口。
?メインの企画らしいエリアに入ると、小学校高学年くらいの女の子とスタッフらしき大人が寄ってきて「キッズ・キュレーターという企画があるので是非参加してください!」といわれる。親子連れなので目をつけられたらしい。一生懸命なんで大人として協力するのが筋かなあと思って参加。
?何組かの親子連れと共に、キッズ・キュレーターなる子どもたちが交代交代で紹介してくれる。しかしその説明が「自然破壊が」とか「人間の苦痛が」とか(詳細は思い出せないが)表層的な借り物の言葉ばかりで、しかも背後に必ず大人スタッフが絶えずアドバイスをしたりしているので違和感が生じてくる。
?暗い部屋でのインスタレーションを見せられる。拷問を告発する内容らしく、恐ろしい映像こそないが大きな鞭打ちの音が鳴って息子は半泣き。
?その上、「この作品についてどう感じましたか?」とキッズ・キュレーターに聞かれる。息子が落ち着かなくなっていたことやそれまでの違和感もあり、大人気ないと思いつつも「なんともいえないな」というような内容で返答する。
?私の返答を受け背後霊のような大人スタッフが「質問をするときはどうのこうの」と即座にキッズ・キュレーターに助言する(厳しい口調ではなかったがダメ出しっぽい内容だった)。
?子どもが限界になったので、途中だったが退出。

 というような感じ。つまり大人がすごく企画をコントロールしようとしているわけ。一見子どもがアートを紹介するという企画なんだけど、大人が「子どもたちがのびのびとアートに親しむ」様子を演出したいだけ。しかも子どもが子どもに紹介するという(表向きだけでも)形式なのにあまり子ども向けとも思えないような作品がある。子どもが主役のような顔をして、大人がこういう風にアートを体験して欲しいというのが背景にある実に恣意的な企画になっていた。
 アートのことなんか詳しくなんかないけど、これこそ非芸術的行為なんじゃないのかな。常識を覆す、頭の固い大人たちがひっくり返るような自由なものがアートなんじゃないの?子どもが大人の言う事に沿ってアートを紹介することになんの意味があるの?それにその場で出てくる感想を子どもに聞かせるって、脊髄反射的に出る感想なんて陳腐ものに決まってるよね。むしろなかなか言葉にならない一生考えても解けない謎のようなものを提出して日常を超えさてくれるのがアートなんじゃないのか?結局その現場で垣間見えたのは毒にも薬にもならない空疎な「アートとのふれあい」を演出しようとする醜い大人たちの姿ばかりだった。子どもの姿はそこにはなかった。
 いうまでもなく子どもたちには何の罪もない。だからこそ背後にいる大人たちへの違和感が消えない。もちろんキッズ・キュレーターをつけず勝手にみることも出来たのだから断ればよかったのだというのは正論。そう、単に親子で楽しめばよかったのだ。子どもがどんな風にものをみるか少し知ることも出来たろうし。見せたくないようなものはこちらでコントロールすればいいわけだし。ともかく現代美術はウチの親子には縁のないものだと分かったのでもう参加しない。
 
 教訓:相手が子どもであろうとも断る勇気を持とう。
 
 それにしてもあの企画、ホントにひどかった。誰があんなことやろうと言ったの?